roles 02. 職業・理学療法士 パラリンピックから6年目の現在地 その1

今回のインタビューは理学療法士の菅野千永美さん。
現在は2児の母として子育てに奮闘しながら、老健(介護老人保健施設のこと)の1非常勤として働く彼女。
そんな彼女は、2003年12月、ひょんなことから声がかかり、パラリンピック車椅子バスケットボール女子チーム日本代表のトレーナーを務めることになりました。
2004年夏のアテネ、2008年の北京パラリンピックにチームスタッフとして参加、非常にパワフルな経歴をお持ちの彼女ですが、そのパワフルさは、その経歴だけにとどまりません。

悩んで、動いて、また悩んで、それでも動く!
日々のアップ&ダウンの中、いつも考えながらアクションを続けてきた彼女。
そんな彼女のインタビューのあちこちに、あなたもウンウンうなづける共感のカケラが、たくさん隠れているはず!

そんな、波乱と情熱の人生記「カンノ劇場」のはじまりです。
聞き手:今國朋 編集・構成:金倉英明

今回のroles人 … 菅野千永美

dsc03517-e1382867309188-373x450

1975年うまれ
川崎医療福祉大学医療技術学部を卒業後、
病院や介護施設にて理学療法士として働く傍ら、車椅子バスケットボール パラリンピック日本代表女子チームのトレーナーとして2004年アテネパラリンピック、2008年北京パラリンピックに参加。
トレーナーを辞した現在も、スポーツや医療・介護の現場で理学療法の見地に基づいた様々な活動を行う。
昨年、次男を出産したばかりの2児のママでもあります。

きっかけは「接骨院の先生」と「父親の手」

菅野千永美さんとお子さん

今國(以下 今):大学で理学療法の学科に行ってから、ずっと理学療法士として働いてらっしゃるのですか。

菅野(以下 菅):はい。専攻が理学療法学専攻で、大学を出てから理学療法士です。

今:もともとスポーツをやっていたとおっしゃっていましたよね。なぜ理学療法士になろうと思ったんですか。

菅:理由が二つあって。ひとつは中学ぐらいの頃に出会った柔道整復師の方。俗に言う接骨院の先生ですね。自分がバスケットをやっていた中学・高校と、ずっと体を見て貰っていたんです。怪我をした時はもちろんなんですが、大会前にはテーピングしてくれたり、試合後のケアまでしてもらっていました。治療を受ける側ですけど、そういう先生の仕事いいなと思うようになって、そんな話を先生としてたんです。そうしたら、女性だから大変なんじゃないか、と言われまして。

柔道整復師って、結局開業するんですよね。だから、親がすでに開業していて、それを継ぐという話でもないかぎり、一代で開業するのはなかなか大変だろう、という話になり、それで、似たような仕事ということで、理学療法士という職業を教えてもらったんです。

もうひとつは、私の父親が漆の塗師だったんですよ。父親、漆を塗るから手が黒い。洗ってもとれないんですよね。子どもながらに、その真っ黒い手が嫌いでした。

また、その父親の手と私の手がすごい似てて、あの手と一緒!みたいな感じでまたコンプレックスで、なんか手が嫌いだったんです。

でもね、じゃあ、その手を使って何かできないかなと。嫌いだからこそ、その手が役立てばいいかなって。だから手を使う仕事がいいなと思うようになったんです。理学療法士って、体ひとつというか、自分の手で勝負する仕事で条件に合うし、いいんじゃないか、と。

もともと、なんか欲張りで私。先生と呼ばれる仕事に憧れて、学校の先生もやりたい、医療も見てみたい、心理学も好きで、だから保健の先生とかいいなって思ってたの。保健室の。全部やるじゃないですか。福祉とか。

今:確かに。確かに。

菅:自分のやりたいことを全部網羅しているし「保健室の先生いいな」と思っていたんですけど、その先生との出会いと、手を使う仕事への興味もあって、気がついたら「理学療法士、いいな」となっていました。

今:じゃあ、ずいぶん若い頃に決められたんですね。

菅:実際そういう仕事があると知ったのは中学校ぐらいですが、本当に方向性を決めたのは、高2か高3くらいですね。「仕事でスポーツ選手に関われたらいいな」というのと「体のケアができる仕事がいいな」と漠然と思っていて、それで理学療法士を目指せる大学に進学しました。

今:大学を選ぶ際、自分が将来就きたい仕事を見据えたうえで、進学先の学部・学科を選択出来る学生って、多くはない。医療系とか福祉系に進学した人はともかく、大学3年4年になって、さてどうしようって悩む学生はほんとうに多いので、菅野さんは早いなって思いますよ。

next : 休学して北欧へ