roles 03. 紆余曲折を経て行き着いた 一生関わりたい森林の仕事 その1

今回インタビューしたのは、森林に関わる仕事をしている野口さんです。ずっと続けていきたいと思っていた音楽と、森林に関係する仕事。いくつかの職場を経験しながら行き着いたのは、「森林のために働きたい」という思いでした
これだと思ったら即動く。できることは手当たり次第やってみる。そんな行動力を発揮して、本当にやりたかった仕事を手繰り寄せた野口さんの生き方は、きっと刺激になるはずです!
聞き手:今國朋 編集・構成:木村恵理

今回のroles人 … 野口直子

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1981年うまれ
東京農業大学地域環境科学部森林総合科学科を卒業後、銘木店、音楽制作会社勤務を経て、ゲーム制作会社に入社。急成長するベンチャー企業の事務スタッフとして、数百万人がプレイするまでになったソーシャルゲームの開発・運営を陰から支えた。
現在は、千葉大学大学院工学研究科中込研究室の特認研究員を務めながら、日本の森林を元気にし、森林のよさを伝えるための様々な活動を展開中。

自然が好き、山が好き、植物が好きで

今國(以下 今):野口さんは東京農業大学出身なんですよね。やっぱり農業に興味があったのですか。

野口直子さんインタビュー風景

野口(以下 野):小さいころから森林とか農業とか、緑が好きで。農大に行けるんだったらいいなっていう軽い気持ちで、高校から農大の付属に入りました。

今:じゃあ、高校を選択する時から自然環境に関わる道を選んでいたんですね。大学で専門を選ぶ時は、迷ったりしませんでしたか。

野:森林と農業とで迷って……結局、森林を選んで地域環境学部森林総合科学科に進みました。地球環境に対する興味が勝ったからかな。根底には、自然が好き、山が好き、植物が好きという気持ちがありました。

今:大学ではどういう勉強をしたんですか。

野:すごく変わった授業内容だと、葉っぱテストとか。ごみ袋いっぱいに枝ごと入っている40種類の葉っぱを見て、樹の名前を書いていくんです。

今:おお、それは日々自然に触れてないと絶対に分からないですね。

野:そうなんです。私は小学校低学年まで静岡で自然に触れながら育ったけど、小3からは東京、中学からは川崎で。ずっと都会で過ごしてきたから、葉っぱテストも全然分からなくて、必死で覚えました(笑)。でも覚えることは苦ではなくて、すごく楽しかったですね。

今:農大の授業となると、フィールドワークも多かったんですか。

野:はい。卒論がまさにそうでした。私の卒論テーマは対象が山だったので、山に行かないとデータを取れなかったり……。でも、4年生の冬にその山で小規模な土砂崩れがあって、卒論の調査地が全部埋まっちゃったんです。

今:えーっ、卒論で調査しなきゃいけないところが。

野:そうそう。データはほとんど取ってあったからよかったけど、森林学ならではのエピソードですよね。

今:自然が相手だと予定通りにいかないことも多いですからね。農大はどんな人が多かったんですか。

野:森林学科は、ふわっとした柔らかい雰囲気の人が多かったですね。緑が好きで、素朴な感じの。森林学科って30年前は女性が1人とか2人とかしかいなかったんですけど、私が行っていた時は男女半々くらいで、意外と女性が多かったのには驚きました。環境問題とかが取り沙汰されてきた世代じゃないですか、私たち。それも大きいのかな。

今:時代背景は少なからず関係しているでしょうね。野口さんが自然環境に興味を持ったのは、子どものころ自然の多かった場所から都会に引っ越したことも影響しているんですか。

野:私の家は転勤族だったので引っ越しはたくさんしてきたけれど、小3まで過ごした静岡での5年間はすごく大きかったですね。田んぼと山しかない中で遊び回っていたから。その後で渋谷区に引っ越して……ここで感じたギャップは、幼いながらに衝撃でした。

東京に来たら、水道水は変な味がするし、空気は悪いし、川も川じゃない。今はきれいになっているけど、そのころ近所に流れていた渋谷川は真っ黒で、もう「ザ・東京の川」みたいな感じだったんです。「水がまずい!」とか「空気が汚い!」とか、兄弟でワーワー言っていたのを今でも覚えています。

今:それまで当たり前のようにあった自然環境が東京では全然違っていて、衝撃だったんですね。

野:そう。それまでいた場所が、すごくいいところだったんだって分かりました。「自然っていいものなんだ」という感覚は、この時感じたギャップから生まれたのだと思います。

音楽を取るか、山を取るか

今:大学で森林について学んで、その後の就職も山に関わる仕事で探したんですか。

野:はい。どこか地方に行って、山に関わる仕事をしたいなと思っていました。それが一番やりたいことだったんです。でも部活で吹奏楽をやっていて、音楽もずっとやっていきたかったから、結局そっちを取ってしまって……。それで、東京で働くことになったんですよ。その時は吹奏楽部のOBや音楽仲間で楽団を立ち上げて、アマチュアでありながらもプロみたいな活動をするバンドをつくろうとしていたんです。

今:音楽はいつからやっていたんですか。

野:幼稚園からピアノを始めて、吹奏楽は高校からずっと。高校はホルンだったけど、大学からは打楽器で。師匠がすごくいい先生だったこともあって、一生やりたいと思うくらいのめり込みました。

今:音楽はどういうところが好きなんですか。

野:そうだな……。やっぱり、楽しいですよね。みんなで一つのものをつくり上げるというのはなかなか味わえないことだし、自分が演奏すること自体も楽しかったし。あとは、教えてくれる先生や音楽監督の期待に応えたいという気持ちも大きかったと思います。

今:就職の時に、山ではなく音楽を取ったのはどうしてですか。

野:音楽仲間と離れたくないというのもあったし、地方に行ったら演奏できなくなるかもしれないという恐怖もありました。私がやっていたのは打楽器だから、山に行ってしまうと楽器がないこともあって。そのころは本当に毎日楽器に触っていたから、そのスタンスを崩したくなくて、音楽を取ったんです。

今:そうですか。音楽の活動ができる都内で、かつ森林の仕事となると、就職先を見つけるのも難しいですよね。

野:そうなんです。でも最初に就職したのは、一応、木材関係の会社でした。材木屋さんで経理や総務の仕事をしていたんです。だけどそれだけでは物足りなくて……。男衆に混ざって3メートルの丸太を担いだり、「動く」仕事も自分からガンガンやっていました。

今:そこでの仕事はどうでしたか。

野:私は事務で入ったけど、だんだん、実際に木を扱う仕事をもっとしたいなと思うようになりました。でも男衆に混ざって木と触れ合うような仕事は、女性だと力の面でも限界があることが見えてきて。ここでは上を目指せないことが分かったので、その会社は1年で辞めました。

今:事務ではなくて、自然と接する仕事がしたかったんですね。でも女性であるということがある種ハンデにもなるし、それは難しそうだったと。それで、次はどんな仕事に就いたんですか。

野:音楽制作の仕事です。エイベックスとかソニーとか、CDやコンサートをつくる会社の下請けをしていました。「浜崎あゆみのCDを作るぞ」って言われたら、そのためのスタジオやバックバンドを押さえたり、ギャラの計算をしたり、そういった裏方の事務ですね。

社員5人の小さな会社でしたが、仕事は面白かったです。時々スタジオに行くと、「拍手の録音が欲しいから事務さんちょっと来て」みたいなこともあって。実際にCDのような制作物ができる流れも分かったし、いろいろと貴重な体験ができました。演奏することが楽しい身としては、こういう内情を知れるのが楽しかったですね。音楽に携われていること自体がうれしかったんです。

今:その会社にはどれぐらいいたんですか。

野:3年半ぐらいかな。その会社はガンガン向上していこうという雰囲気もなかったし、事務系の仕事を安定的にこなして定時に帰る毎日に飽きたというか……。それはそれでいいところもあったんですが、物足りなくなってきて辞めました。

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